2011/3/11
ルーカス(元ガンバ大阪、元FC東京)
テクニックと創造性という長所を伸ばすことで、短所(フィジカル能力)はかなりカバーできる
2000年のシドニー五輪で、日本チームとの対戦経験を持つブラジル人のルーカスは、04年FC東京に入団した。加入初年度には、FC東京のクラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝に貢献。チャンスメーカーとしての評価が高い選手だったが、06年にはJ1・31試合出場で18得点をマークしている。08年にはG大阪に移籍。G大阪加入初年度には、ACL決勝・アデレードとの第2戦のアウェイゲームで2得点を決め、チームにアジア制覇をもたらしている。天皇杯連覇を果たした2010年元日の天皇杯決勝・名古屋戦でも先制点を奪うなど、重要な局面でのゴールも少なくなかった。リーグでのホーム最終戦となった昨季第33節・横浜FM戦後の退団セレモニーでは、チームメートから4度胴上げで宙を舞い、目を潤ませた。G大阪ゴール裏には背番号9のビッグフラッグ、『OBRIGADO LUCAS』の横断幕が掲げられるなど、サポーターに愛される選手でもあった。天皇杯準決勝・清水戦を最後に、ブラジルへ帰国したルーカスに、故国で日本サッカー成長へのアドバイスを聞いた。
日本で成功するのは容易ではないと思った
――日本サッカーとの最初の出会いは、シドニー五輪(2000年)グループリーグ最終戦の日本五輪代表との試合ですね。日本チームについて何か事前情報は?
「いや、ほとんど何も知らなかった。優秀な選手がそろっていて、手強かった。非常に困難な試合だった。その後、自分が日本へ行って彼らと一緒にプレーしたり対戦したりするとは、当時、夢にも思わなかったよ」
――この試合で、あなたは後半途中から出場し、その直後、中田浩二選手(鹿島)と接触して彼を「壊して」しまいました。
「嫌なことをよく覚えているな(笑)。あれはアクシデント。けがをさせるつもりはまったくなかった。その後、日本で彼に会ったときに謝ったよ。怒っていなかったので安心した(笑)」
――五輪後、レンヌ(フランス)を経て04年、FC東京に移籍しました。
「代理人に好条件のオファーが届いたんだ。前年に結婚し、生活を安定させたかったこともあって、チャレンジしてみようと思った」
――予備知識は?
「アトレチコ・パラナエンセで一緒にプレーしたケリー(01年から04年までFC東京でプレー)からいろいろ教えてもらった。リーグがきちんと運営されていること、スタジアムが近代的でピッチの状態もいいこと、FC東京は家庭的な雰囲気のクラブであること、日本人選手はテクニックとスピードがあること、などだね。(実際に日本でプレーして)ほとんどそのとおりだった。ただ、予想していた以上にレベルが高く、日本で成功するのは容易ではないと思ったね」
――すぐにチームになじみ、結果も出しました。でも、外国籍選手の中には適応に苦労する選手もいます。
「『自分はサッカー先進国から来たんだ』といった思い上がりを持たず、チームに溶け込み、監督の指示を忠実に守ること。これができるかどうかが、外国人が日本で成功するかどうかの分かれ目になると思う」