2011/10/12
■揺るがぬ信念
「人のために汗をかくのが好き。FWなのに(笑)。そうやってサッカー選手として生きてきた」
2010年7月、愛して止まなかった千葉を退団した巻誠一郎は、ロシア、中国と海外リーグを渡り歩いた。そして、今年の8月、再びJリーグの舞台へと戻ってきたが、袖を通したユニフォームは緑、東京Vだった。新天地に移ってから約1カ月、海外での経験、東京Vでの日々、サッカー選手としての現在地を聞くために、緑のユニフォームがすっかり板に付いてきた巻を直撃した。
聞き手:田中直希 写真:徳丸篤史(本紙)
2010年7月、巻誠一郎はそれまで7年半を過ごした千葉から契約非更新の旨を告げられ、遠くロシアのアムカル・ペルミへの移籍を決心した。「自分の価値を上げて帰ってくる――」。そう宣言し、希望を持って臨んだ初めての海外挑戦は、苦難の連続だった。結果を出すことができず、すぐに先発メンバーを外された。通訳もおらず、細かく表現したい自分の意志を伝えることができない。中国・深?紅鑽への移籍を余儀なくされた後も、左ひざの負傷により試合出場の機会はほとんど訪れず。医療体制の不備など、独特の環境にも苦しめられた。本人も「もどかしい気持ちでいっぱいだった。(海外移籍は)成功ではないですよ」とキッパリと振り返る。結局、今年の7月、日本に帰国したときには、身も心もボロボロの状態だった。
ロシアではボール保持の重要性を学んだ
――まず日本のサッカーと、ロシアや中国のサッカーとは何が一番違うのでしょうか。
「日本のサッカーとの違いは、やはり攻守の切り替えの速さ。守備から攻撃も、攻撃から守備も速い。ロシアは経済的にはしっかりした国なので、良い外国籍選手がいたりして、中盤の選手は特にうまい。それに、他のトップリーグと同じように、上位クラブと下位クラブとの間で力の差があって、それがハッキリしている印象も受けました」
――ロシアに行かれる前と、実際に行った後でイメージに変化は?
「あまり変わりませんでした。移籍する前に一度見に行っていたので、そのときに受けた感じとさほど変わらず。ただ、試合までの1週間のサイクルが日本とは違いました。雪が降るので、練習をあまりしないときがあったんです。ボール回しをして終わり、とか。試合前日はサッカーテニスや30分くらい体を動かして終わり、とか。雪が降ったときには、『練習サウナだ!』と言われて、汗をかいて終わり、なんてこともありました(笑)。練習の内容は戦術重視なんです。自分たちが相手に合わせて形を決めて…と。ほかのチームもそれに近い形だったらしいです。試合中の動き方、ボールの動かし方、守備の仕方といったものが、ハッキリ定められている。最終的には自分の判断ですが、わりと動きは決まっていたので、そういう意味で難しさもありました」
――巻選手は夏の時期に移籍したので、段々とロシアの寒さが襲ってきたわけですよね。
「夏は暑いんですよね。夜中の12時近くまで日が落ちないですし。23時くらいまで、30℃くらいから気温が落ちない。19時や20時からの試合でも、日照りがすごくて34℃くらいある。だから、ロシア人選手は、自分なんかよりもっと動けない。『みんな全然動けないな』と最初は思ったんですよ。でも、9月に入った瞬間にいきなり気温マイナスの世界。どーんって下がる。そうなると、みんな動き出す(笑)。寒暖の差が本当に激しい。前の日まで半袖で練習していたのに、次の日には手袋をはめてサッカーをやったりした。いきなり、なんですよ」
――ロシアでは最初試合に出ていましたが、次第に出場機会が減っていきました。その経緯は?
「やっぱり、結果が出なかったのが一番。最初の3、4試合はチャンスをもらった。監督にも、最初は我慢してチャンスをあげると言われていた。その中でゴールという結果を生み出せなかった。そこが一番大きかった」
――サッカー選手として、ロシアで得たモノは?
「もっと試合に出られれば、いろいろなことをつかめたと思うんですけどね。ただ、ボールを保持することの大切さは感じました。日本の良さは、切り替えの速さです。逆に悪い部分は、簡単にボールを失う傾向にあるということ。だからこそ、攻守の切り替えがせわしくなるゲームが増える。それは良いことであって悪いことでもある。ボールを失わないことの重要度が向こうだと大きい。それに、ロシアでは攻撃のスピードがポーンとすぐに速くなるんです。カウンターがすごく上手。そういうところは、学ばなければいけないなと感じました。だから、一人ひとりの責任感が増す。逆に、ボールを回しているときに、それをミスして奪われる選手はすごく目立ちます。そうなると、チームもバランスを崩す。一気にピンチにもなってしまう。ボールを失わないことは、強く意識してやっていました。ロシアのリーグの雰囲気にも慣れてきていたので、あと半年でも1年でもいられれば…という思いは正直残りました。違う結果も出せていたという思いも自分の中ではあります。でも、チーム事情などもありますし…」
■中国は中盤を省略する大味なサッカー
――アムカル・ペルミを退団した経緯をあらためて。
「日本の新聞でも一部報道されていましたが、クラブの財政破綻があった。その時点で、外国籍選手の給料が払えなくなり、『仕方がないから辞めてもらう』と。試合に出ていない選手から削られていったときに……」
――では給料の未払いも…。
「ありました。3カ月近く。最終的には払ってもらいましたが、そういう意味では残念でした」
――そこからは、他のクラブを探されたわけですが、海外のクラブで結果を残したいという思いからでしょうか。
「そうですね。せっかく海外に出て、煮え切らない感じで日本に帰るのもどうかなと。それで探していました」
――そこでトルシエ監督(元日本代表監督)から話が来た。
「『獲りたい』ということだったのですが、その後に僕が『環境を見てみたい』と言って練習に参加しました。実はラク(楽山孝志/元・千葉など)が先に深?紅鑽へ練習しに行っていて、そこで『巻がフリーだ』と助言してくれた。それで、トルシエが欲しいと言ってくれたんです。深?は、日本人もたくさんいましたし、僕にとっては天国みたいなところでした。漢字で意味は分かるし、深?は経済特区なので英語もわりと話せる。生活面では、ロシアより快適に過ごすことができました。でも、基本的に生活がホテル住まいだったんです。自分の家がなかったことがストレスでした。1週間のうちの1日か2日しか、自分たちの家から通うことができないんです。だから家を借りることもしなかった。まず、クラブハウスがない。アウェイの試合でも、まずアウェイまで週初めに移動して、そこで練習する。試合をやって、帰ってくる。アウェイから帰って少し練習するのですが…、ホームスタジアムがユニバーシアードで使えなかったので、違う州まで行って練習、試合をしていました。だから、ホームがなかった(笑)。一人、ホテルで生活をしていましたし、ロシアも中国も、単身で行っていました。子どもがまだ小さかったので」
――中国は芝が悪いイメージがありますが、やっているサッカーの印象は?
「芝生は悪いですね。ロングボールが主流になっています。中盤を省略して。中国の場合は、大味なサッカーですね。それにファウルは多い。アフターで来ることも。レフェリーも結構流しますし。僕もそういうことは嫌いではないですけど、それでも結構(アフターのスライディングが)来ました。後ろを向いているのにスライディングに来て、それでもカードは出なかったり…。サッカーのレベルでいうと、日本のチームよりも少し落ちます。中国は、南米の選手など外国籍選手が3人くらいいて、その選手が試合を決める。外国人頼みのサッカーをするチームが多かったですね。それが全体の8割くらい。外国籍選手は完全に助っ人、という感じですよね。でも、トルシエの場合は、チーム全体でボールを動かすサッカーをやりたかったようです。しっかりオーガナイズして、やりたいと。でも、やっぱり外国人頼みという癖ができあがっていたので、難しそうでした。僕の場合は、右足首のけがでほとんどプレーできなかったので、プレーを見るほうが多かったんですけど…」
――退団の理由は、報道のとおり、けがの影響ですか?
「そうですね。けがが一番の理由です。それに、先ほども言いましたが外国籍選手がゲームを決めることが多いチームだったので、『新しい外国籍選手を獲りたい』と。けがが長引き過ぎていたこともあって。ラクは、中心選手としてずっとプレーしています。ラクがいないとゲームが回らない。そのくらいに存在は大きいです。いまも一人で奮闘しています」
――ロシアと中国に行って、一番『日本人』を感じたことは?
「まず、ロシアでも中国でも、僕のことをリスペクトしてくれました。それはすごくうれしかった。スタッフのみなさんも配慮してくれた。僕が日本人で周りに気をつかうということもあるんでしょうけどね。雰囲気を作ろうとしたりとか。そうすると、向こうの人も『あ、コイツは人のために何かをやっているんだ』と気付いてくれた。そういうことを理解してくれたら、溶け込むまでは早かったですね。最初は取っ付きにくい感じでしたけど、あるときを境に、ご飯に誘ってくれるようになったりとか。中国でも、若い選手が非常に多かったのもあったのか、日本のサッカーを認めてくれる人も多くて。反日感情などを感じることはなかったです。自分が日本代表でプレーしていたことを知ってくれていたし、TVでも民放で週に1試合、Jリーグ中継があります。ただ、アウェイに行くと、ペットボトルが飛んできたり、というのはありましたけどね。レフェリングとか、アウェイチームの選手から感じるものも…」
――川勝監督の言葉が加入の決め手だった
――その後、東京V加入の決め手になった言葉は?
――いま、川勝監督の下で東京Vが目指しているサッカーを、巻選手の言葉で表現してください。
――いまの東京Vというチームを見て、感じていることは?
――今後のサッカー人生について。
他の巻選手のインタビューはエルゴラッソ本紙で!!
サッカー専門紙EL GOLAZO