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[1107号]EGちょい出し:引退選手インタビューその名を刻んだ男たち2011Vol.6阿部祐大朗(ガイナーレ鳥取)「鳥取のJ2昇格は本当にうれしかった。初めて結果を残せたと思った」/聞き手・杉山孝()

2012/1/17

●「一番大事なときに、サッカーから逃げてしまった」
--27歳での引退には、多くの人が驚いたのでは?
「高校のころの仲の良い友達にも、誰にも言っていなかったんですよ。だから、みんなすごくビックリしていました。すでに選手編成を考えていたチームを困らせてしまい、本当に悪いことをしてしまいました」

--引退を決めた理由は?
「限界を感じました。年々思いどおりのプレーができなくなってきて、そうするとサッカーがつまらなくなってしまう。プロ生活9年間で試行錯誤してきましたが、自分の中で先が見えなくなったと感じました。(2011年の)夏くらいから自分の中では引退を決めていたんです」

--高校のころには、限界などないかのようでしたが?
「高校(桐蔭学園高)のころは、確かにいろいろなことができましたね。でも、マリノスでのリーグ戦での出場は9試合止まりです。まず、マリノスに入ったときに壁に当たりました。これは相当レベルが高いなと。さらに、今まで経験したことがなかったサブになって、『なんだこれは』という感じになってしまった。そこでひたむきになれれば良かったんですけど…」

--当時のマリノスは名手ぞろいで、FWには良いボールが入ってきたのでは?
「そういうこと以前の問題でした。自分を完全に見失っていましたね。サッカーに対して謙虚さを失っていました。岡田(武史)監督の期待に絶対応えたいと思っていたんですけど…。でも試合に出られないとつまらなくなるし、そこでラクなほうに逃げていました。練習が終わって、一番に帰ったりしていましたからね。鳥取では一番に練習場に来て、最後まで残って練習していたんですけどね。一番やらなければいけないときに、さっさと帰ってしまっていました。『そのうち出られるだろう』みたいに思っていて。本当に謙虚さが足りませんでした」

--ただ、プロになってマリノスで苦しんだのは、練習でも日本代表クラスが相手ということもあったのでは?
「そうですね。練習で何もできなくて、自信がなくなっていく。そのときが、一番大事だったんですよね。真価を問われるところだったのに…。そこで情熱を失わずに分析ビデオを見たり、コーチに聞いたり、午後に筋トレしたり、いろいろとやるべきことはあったと思うんです。そこでサッカーから逃げていました。子どもだから、そこが分からなかった。その点、カテゴリーが下のところでプレーしている選手たちほど、ハングリーだと思います。僕はあのときしかJ1を経験していませんが、これまで会ってきたほかの若手は、真面目過ぎるくらいにしっかりしていました」

--山形へ期限付き移籍の話が来たときは、即決だったのですか?
「じつは山形の前に、横浜FCとフロンターレから話をもらったんですけど、『いや、いいです』と断ったんですよ。その後に練習参加でマジョルカ(スペイン)に行きました。そのままトゥーロン国際大会(毎年フランスで開催されるU-23世代の国際大会)に出る代表チームに合流したんです。代表では良かったんですけど、チームを3、4カ月離れていて、戻ってきたらチームではダメで。その後に山形から話が来たときには、クラブから『絶対行け、それしか道はないぞ』という厳しい口調で言われました」

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