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[その名を刻んだ男たち2011]]Vol.9 箕輪 義信(元・札幌)()

2012/2/7

[その名を刻んだ男たち2011]]Vol.9 箕輪 義信(元・札幌)

●「思いを伝える場があるのは、本当に幸せなこと」

――昨年の11月26日に等々力陸上競技場で行われた引退セレモニーは、川崎Fらしく手作り感いっぱいで、粋なセレモニーでしたね。
「あんな素晴らしい式を用意してもらって、サポーターのみんなに拍手で迎えていただき、感謝の言葉しかありません。その何日か前に、川崎のスタッフの方から突然、連絡があったんです。『ホーム最終戦の前に引退セレモニーを開こうと思っているんだけど』って。それを聞いて、最初は耳を疑いました。だって(昨年の)9月に引退を表明したときは無所属だったし、最後のクラブだって川崎じゃない。そんな話、聞いたことがなかったから、『え、何を言ってるの?』って。ありがたい話でしたけど、最初はその申し出を受けていいものかどうか、悩んだんです。対戦相手もいることだし、最後のクラブだった札幌にも失礼なんじゃないかと思って。それでまず、昔から親しくしていたサポーターに連絡してみたら『みんながいいと思っているんだから、受ければいいじゃん』と言ってくれて、札幌にも出席することを報告したら了承してくれたので、ようやく気持ちが固まったんです」

――当日は何を話そうか、いろいろと悩んだのでは?
「いや、実は何も考えていなかったんです。あの瞬間のありのままの思いを伝えようと思ったし、『ありがとう』という感謝の気持ちさえ伝わればいいと思ったので。サポーターを前にしたら、やっぱり緊張しちゃって何をしゃべったのか覚えていない。YouTubeで確認したら、うまくしゃべれていませんでしたね(苦笑)。でも、一つだけ決めていたことがあって、それは、メインスタンドからサポーターのいるバックスタンドまでピッチを横断していくときに、誰よりも綺麗に歩こうと思っていたんです。サポーターの中には、僕がアキレス腱のけがで苦しんだことを知っている人もいるだろうから、『もう治りましたよ』って伝えたくて。本当は走ろうかとも思ったけど、それはちょっとやり過ぎだから(笑)」

――最後に所属したクラブでなくても、その選手の功績を認めて引退セレモニーを開く――。今回が前例となって、今後増えていくといいですね。
「本当にそう思います。僕もかつて等々力で、鬼木さん(達/現・川崎Fコーチ)や今野さん(章/現・川崎Fコーチ)、長橋さん(康弘/現・川崎F、U-12コーチ)の引退セレモニーを見て、『いつかはオレも』と思ったけど、移籍を決断した時点であきらめたから、本当にうれしかった。選手にとって最後に思いを伝える場を用意してもらえるのは、本当に幸せなことなんです。ゴンさん(中山雅史/現・札幌)だったら磐田、伊東輝悦さん(現・甲府)だったら清水というように、何も最終所属クラブである必要はない。豪勢なものでなく、小さくてもいいから、卒業式をしてあげてほしい。卒業して初めて次のステージに進めるということを今回、僕は身をもって感じましたから」

●「札幌では何も貢献できなかった。謝罪の気持ちと負い目しかない」

――先ほど話に出ましたが、右足のアキレス腱断裂という大けがを負い、リハビリ生活は2年半にも及んで、相当苦労されたようですね。
「最初にけがをしたのは、川崎Fから札幌に期限付き移籍して3カ月が経った2008年9月でした。そのころずっとスタメンで起用されていて、J1の試合の間に行われた北海道チャンピオンズスーパーリーグにも出場したんです(ノルブリッツ北海道戦)。その後半に、スピードアップしようとした瞬間、右足首のあたりで風船
が割れたような音がして…」

――体外にも聞こえるものなんですか?
「ええ。周りの選手も何事かと僕のほうを振り返ったほど。不思議と痛みはなかったんですけど、足がまったく動かなかったので、大変なことが起きたのは、すぐに理解しました。そのシーズンを棒に振って、チームもJ2に降格してしまった。僕は札幌をJ1に残留させるために来たわけだから、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、リハビリしながら、契約満了を覚悟していたんです。そうしたら、札幌のフロントの方が病室まで来て、『完全移籍で獲得したい』と申し出てくれて、しかも2年の複数年契約だというんです。驚いたけど、それだけ期待してくれていることを感じてうれしかったし、奮い立ちました。でも、結局4度もアキレス腱にメスを入れることになって、僕は札幌にはまったく貢献できなかった。だから、札幌には謝罪の気持ちと負い目しかありません。もっと盛り上げたかったんですけど…」

――ボールを蹴りたくても蹴れないというのは、サッカー選手にとって自己表現できないということ。本当につらかったと思います。
「だから、自分に何ができるのかすごく考えました。川崎時代は、チームメートが連れ立って食事に行くときも、一人黙々とトレーニングしていたんです。それは『下手くそな自分は人よりも多く練習しなければ生き残れない』と思っていたからですけど、そのスタイルのままではチームに貢献できない。だから、自分を変えるしかなかった。新潟に石川直樹という選手がいますよね。彼は当時札幌にいて、本当に真面目で、すごく頑張っていたのに、『結果が出ないのは自分のせいだ』と自分のことを責めるんです。後輩のそんな姿を見るのはつらいし、本来ならそうした責任を負うのはベテランである僕の役目。僕のほうが申し訳ない気持ちでいっぱいで、直樹を温泉に連れて行っていろいろ話を聞いたり、若手を自宅に招いて食事を振る舞ったり。足は動かなくても、何かできることはないかって、いろいろ考え続けた2年半でした」

――先の見えないリハビリ生活に、自暴自棄になりそうなことは?
「何度もありました。でも、ギリギリのところで踏ん張れたのは、支えてくれた家族やクラブ関係者、サポーターのおかげです。印象に残っている言葉があって、リハビリ中に知り合ったメンタルトレーナーの方から『自分の想像どおりにいかないからといって、なんでだよって思うのはワガママだ。いま起こっていることが現実だから、それを受け入れないと前には進めないよ』と言われたんです。それで『確かにそうだな』って。それからは何でも受け入れようと努めました。4度目の手術を告げられたのは、札幌がグアムキャンプに向かう前日で、僕も行く予定だったんです。そのときドクターから『前例のない手術だから、復帰は難しい』と言われたんですね。でも、それを聞いて『よし、奇跡を起こしてやるぞ』と思えた。このまま終わりなんて悔し過ぎる。ほかの人から見たら意地に見えたかもしれないけど、辞められませんでしたね」

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