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[2012シーズンに懸ける男たち] MF 22 羽生 直剛(FC東京)/聞き手:泰良 和彦()

2012/2/15

[2012シーズンに懸ける男たち] MF 22 羽生 直剛(FC東京)/聞き手:泰良 和彦

●悔しさ、幸せ、喜び、そして自信

──羽生選手にとって、昨季はどういう1年でしたか?
「最初は試合に出られない時期もありました。試合に出られないことの悔しさや試合に出ることの幸せ、充実した練習をできていることへの喜び、そういうものを感じられました。逆に自分が『まだできる』と思っていれば、向上心も持てますし、『もっとうまくなりたい』という気持ちがモチベーションに変わるんだということが分かりました。今まではそういう感覚を少し当たり前に思っていたかもしれない。練習をすることや試合に出ること、プロサッカー選手であることを、当たり前に思い過ぎていた。それが分かったことは、自分にとって大きかった。あまり評価されなかったところからシーズンが始まり、いろいろな巡り合わせがあった。けが人が出たこともありますが、そこから先は自分で引き寄せたものがあったと思います。それがすごく自信になりましたし、そういうことを感じ取れたという意味では充実したシーズンだったと思います」

──プロになって初めて湧いた感情だったのですか?
「どちらかというとプロ1、2年目の感情ですね。一生懸命練習で何かをやらないと試合に出られないとか、これから先はサッカー選手としてやっていけないんじゃないかとか。たとえば、1、2年目の僕は周りの人に『3年ぐらいプロでやれたらいいんじゃないか』と言われていました。体も小さいですし、『3年ぐらいプロでやって、辞めたら先生にでもなれ』と言われてプロになりました。試合にも出たいですし、『1年でも長くサッカー選手でいたい』という思いで1日1日を本当に必死でやっていました。昨年はその感覚に近かった。自分のサッカー人生がどう終わるのかは分からないですけれど、『まだ成長したい』と。自分が納得できるサッカーを1年でも長くやりたいと思ったときに、手を抜かないことや妥協しないこと、走り切ること、そういう自分の持っているものをすべて出し切る。それを1日1日積み重ねることが目標になっていきました。そういうシーズンは若いときに似た感覚でした。それを続けないとまたポジションがなくなるとか、自分が衰えていくだけだとか、危機感みたいなものもありましたね」

──反骨精神のような感じですか?
「シーズンの最初はあまり評価されなかったですし、それをモチベーションに変えました。汚い言葉だと『ふざけんな』と思っていたというか…。悔しかったですし、その評価をどうにかして覆したかった。その思いが最初は特にありました」

──評価は覆せたのでは?
「ある程度は、かな…。良い意味で評価を裏切ったというか、打ち克ったという思いはあります」

──今回の契約交渉でもそういう話はしたのですか?
「ある程度の結果を残してチームに貢献した、J1復帰に貢献したという意味では、それなりの評価が欲しいということを伝えました。そして、『いまの自分は1年前と比べてどうなのかという点を聞かせてほしい』と。そこはやっぱり聞きたかった。当時の評価と変わらないのか、上がったのか、このクラブに必要なのかどうか。そこはすごく確認しました」

──昨年よりは納得できた?「ほかのクラブからもいくつか話をいただいたので、そういう意味ではこの年齢になってもあらためて評価されたと思いますし、それは自分でつかみ取れたものだと思います。その中で東京というクラブの『残ってほしい』という思いは伝わってきました。昨季の1年間、頑張って良かったなと思います」

●ここにとどまることを決めた理由

──ほかのクラブからのオファーは悩みましたか?
「外から自分を欲しいと言ってくれているというのは、選手にとってうれしいこと。自分の経験を活かすという意味では、J2で培ったものは大きかった。僕は千葉と東京しか知らないですから、『自分の経験を活かせるかも』と思ったときに、多少揺れ動くものはありました」

──その中で、FC東京残留を決めた理由は?
「(ランコ・)ポポヴィッチ監督の就任とACL出場が大きいですね。ACLに出場するということは試合数が増えるということ。アジアのチームとの真剣勝負なんて滅多にできるものではない。Jリーグの選手でも経験できる人は少ないと思います。そこでやれるのは魅力的でした。チームがどういうシーズンを送るのか。ACLに行ったチームが『次のリーグ戦は負けた』とか『良い内容ではなかった』と言われる過密スケジュールを経験してみたかった。そんなに忙しくて難しいシーズンを経験してみたいという思いがありました。
あとはポポヴィッチ監督の就任も残留を決めた大きな理由の一つです。僕はオシムさん(元・千葉、日本代表監督)に教わって成長させてもらい、そして城福さん(城福浩、現・甲府監督)に認めてもらえました。その中で選手として停滞した時期もあったと思います。そしてもう一度大熊さん(大熊清、現・FC東京テクニカルダイレクター)に走ることの重要性や『サッカーは厳しいところなんだ。戦いなんだ』ということを教えてもらえました。“再生”というか、『もう一度僕は走らないといけないんだ』と。若い選手に太刀打ちするには『自分はもう1回これをやらないといけないんだ』と思い出させてくれたという面で、大熊さんにすごく感謝しています。
僕はいろんな監督の下でいろんなサッカーを経験してきました。そして、この年齢になったとき、最初に成長させてもらったオシムさんの志向と似ている、似た遺伝子を持つ人と一緒にやれる。近い未来に僕のサッカー人生が終わることを考えたとき、最後のジャッジをポポヴィッチ監督にしてもらいたかった。いろいろ経験して、賢くなってきて、積み重ねて来た自分の“作品”みたいなものを、『最後のオレはどうなんだ』と聞きたかった。ポポヴィッチ監督に評価されるんだったら、『何点だ』と言うんだったら全部受け入れようという気持ちで今季を迎えようと考えました。全然違う志向の監督ではなく、自分を一番成長させてくれた監督に近い人にサッカー選手として評価してもらいたかった。今までの自分を全部まとめて、ギリギリで体が動く状態で、『オマエは何点だ』、『オマエはこうなんだ』、『ここまでの選手なんだ』というのを聞かせてほしかった。たとえ試合にほとんど出られなくても、数試合しか出られなくても、それをここまでやってきた僕のサッカー選手としての評価にしようというのが今季の位置付けです。これで何も評価されなかったり、自分の中で『終わったのかな』、『トップレベルでやるのはもう無理なのかな』と思ったとしたら、その後のサッカーとの関わり方や終わり方を決めたい。今季活躍することができたらもっと上を目指せると思いますし、『もう1年トップレベルで』という欲も出て来ると思う。逆にけがが多かったり、ACLやJ1で通用しなかったり、何試合かは通用したけれど何試合かはダメだったとなったりしたら、自分のプロとしてのあり方を決めるシーズンなのかなと。もちろんモチベーションは高いです。やれることはすべてやって、あとは監督に任せる、そしてそれを受け入れるということは決めています。良くても悪くてもどちらでもよくて、ただ、それが知りたい。J2だから昨季はできたのかなという面もあります。最後のジャッジをしてもらうには、僕ができる限りの一番レベルの高いところでプレーしておかないと、そのジャッジが最終的に分からない。だからJ1でやることを決めました。ACLに出ることを含め、自分が最終的にどのレベルにあったのかを聞きたかったですし、体感したかった。東京に残ることを決めたのはそれが大きかった」

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